嬉しかったこと
たいへんご無沙汰しております。
またちょこちょこと書いていこうと思いますので、よろしくお願いしますね^^
先日、所用があり長野県にある善光寺さんというところに初めて参りました。
そこの住職さんにお会いして、まぁなんと心根の真っ直ぐで素晴らしい方なのかと感嘆してしまい、このような方がいてくださるなら、まだまだ大丈夫だと思えるお話をうかがいました。
善光寺には以前、それは大きな松の木が二本あったそうです。
その松の木は、一年に一つずつ松ぼっくりをつくります。
一本の木で一つだから、年に二つの松ぼっくりが毎年できていたのですね。
けれど、木が年々大きくなっていき、そのうちの一本が万が一倒れると、敷地内にある母屋をつぶしてしまうかもしれないという位置にあったとのこと。
住職は思案の挙げ句に、松の木を伐ることに決めました。
さっそく業者に問い合わせたところ、今は繁忙期なので行けないと、あっさりと断られてしまったそうです。それから別の業者を探すわけでもなく、「どうしようかなぁ」と思いながら一年という歳月が無為に過ぎていきました。
ちょうど一年ほど経ったときに、伐採してくれる業者から「時間ができたので、まだ仕事があるなら行きますよ!」と連絡があったそうです。
もちろん住職は松の木を伐りたいと思っていましたので、是非にと頼み業者を待ちました。ほどなくやってきた業者は、さっそく松の木を伐採してくれました。
木を伐り終え、住職が松の木のあったところに行ってみると、そこにはなんと、36個もの松ぼっくりが。
毎年一つずつしか実をつけなかった松の木が、伐られることを知っていたのでしょうね。
もう一本の残した松は、やはりその年も一つだけしか松ぼっくりをつけなかったとのこと。
伐られるほうの松はこれが最期だと渾身の力で子孫を残したのでしょう。
神秘的なお話だなと思いうかがっていたのですが、住職はそこからまた続けられました。
「実は、その松を伐ってはみたものの、やはり命あるものなのだと松ぼっくりを見て思いまして。無駄に殺生はいけないことだと、何かできないかと考えて、その松を処分せずに床につかっているのです。今この部屋の床が、まさにその松の木なんですよ」
わたしはお肉もお魚も頂きます。それは生きるため。殺生をすべて否定する気はありません。わたしもいつか、ひょっとしたら猛獣に食べられる運命かもしれません。そうして生きとし生けるものは生命をつないでいくべきなのだと思います。
けれど、そこで食べられている生き物たちへの感謝は忘れてはならないと常々思っております。
そういった気持ちは持とうと意識して実践もしているつもりでいましたが、こういった形で学びを得て、考え、行動なさっている住職はなんて素晴らしいのだろうと感動しました。
また、どうしても位が上がっていくごとに、人は鼻が高く高くなっていくもの。
自分の失敗談や悔やんだことなどを恥として隠す人が多い中、こうして自身の後悔をもとに話をしてくださる心根の美しい方がおられることが、とても嬉しかったのです。
また一つ、教えられる出来事でした。
長野県の善光寺さんの近くにお住まいの方がおられましたら、ぜひ、松の木を見に行ってみてくださいね。
一つずつしか実をつけない、まだまだ生きていく気概にあふれた松の木と、気さくで人間味のある素晴らしい住職がおられます。


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